FC2ブログ

アレグザンダーとの日々 ―イギリス編―

20世紀建築界最大の異端児、クリストファー・アレグザンダーと向き合った、イギリスでの日々・・・・・・実録版

夢、再び?

6月に更新を再開してわずか2ヶ月足らずで再び休眠状態に入ってしまったこのブログ。

再開時にも少し触れたが、このブログは、とりあえず再び渡英する日が来るまで、ということで1年ほど前から始めたわけなのだが、実はこの1ヵ月半の間、それに向けた準備に入ってしまっていたため、こちらまで手が回らなかった、というわけ。

で、その日がいよいよ明日となってしまった。

しかしながら、今回の渡英は、アレグザンダーの動きとは全く連動していない。

私の知る限り、彼は未だにプロジェクトが取れている様子もないし、オフィスは相変わらず事実上のペーパーカンパニー状態で、ワークパーミットを申請できる条件など満たしてはいないようだし・・・。

要するに、アレグザンダーを当てにしていては、埒が明かないのである。
確かに、彼からはまだ学ぶものが沢山あるし、「ヨーロッパ環境構造センター在日代表」の看板を背負わせてもらっていることにも感謝してはいる。
しかし、だからと言って、彼の動きをいつまでも待ち続けているわけにはいかない。

一方で、これが、アレグザンダーが唱える理論との決別か、と問われれば、答えは
「No」
である。

帰国以来この2年弱の間、私は、自分が基盤とすべき価値観が、ほぼ固まってきているのを感じるようになってきた。最早、「The Nature of Order」が唱えるものの見方と、根本的にはさほど大きなギャップはない、と言っても過言ではないかも知れない。

もし、そうだとすれば、その価値観を拠りどころにして、そろそろ自分の足で立つことを考えるべきではないか、と思えてきたのだ。

で、その拠点をどこに置くか、ということになれば、
自分にとっては、それはやはり、日本ではなく、イギリスなのである。

何故イギリスなのか?
理由はいくつかあるが、この場でそのすべてを書き連ねるつもりはない。
しかし、例えば、アレグザンダーの動きとは対照的に、環境構造研究会(ESRG)などは、かなり活発に動き始めており、彼らと連動しようとするならば、日本にいたのでは埒が明かない。
それに、もし、アレグザンダー絡みのプロジェクトが本格的に動き出すようなことがあれば、一緒にやるやらないは別にしても、すぐにその状況を把握することができよう。

いずれにせよ、今回の渡英は、他力本願ではないのだから、言い訳はきかない。
当面は自分の力だけで道を切り開いていかねばならない。
まあ、いい加減、このあたりで勝負しておかなけりゃ、まずいだろう!
ということだ。

そんなわけで、「再渡英の日まで」という文言に従えば、このブログ、今回が最後となる。
が、もしかしたら、渡英後も更新する気になるかも知れない。

なので、敢えて、ここでおしまい、とは言わないでおこうと思う。

ともあれ、行ってまいります。
スポンサーサイト



ロンドンの仕事場(ボストン集合住宅プロジェクト:その2)

言い訳をするわけではないが・・・

今回ボストンのプロジェクトについて記すに当たって、当時の図面やらスケッチやらを探してみたのだが、どうも一式揃わない。一応表に出した図面のコピーなどはあるものの、クリス直筆の落書き風ラフスケッチや住戸の間取りの検討の際に描いたエスキースなどは、残念ながらどうやらクリス邸の地下倉庫に置きっぱなしにしてきたらしい。

そんなわけで、今回は、「シューマッカー」の時に比べ、あまり細々としたことは書けそうにない。
悪しからず。

・・・・・・・・・・

まだ時差ボケも抜けきらず、体調万全とは言い難かったため、徹夜とはいかなかったが、それでもどうにか翌日の昼頃までに、クリスが要望していたフリーハンドによる敷地配置図は完成(下図)。
20070731211824.jpg

クリスもその出来にはとりあえずご満悦。
何しろこれ以上やるには資料が足りなさすぎる。

と思ったら、クリス、コピー紙の裏に自分で描いた小さなラフスケッチを見せてくれた。
そこには、3階建ての住棟がいくつかフリーハンドで描かれていた。
例によって落書きレベル。

「君が描いてくれた敷地図と、このラフスケッチを基にして、敷地全体のパース(3次元風の完成予想図)を描いてくれないか?」

ちょっと待て。
まだ誰も現地を見たこともなければ、その写真さえない段階で
パース描け、だと?
しかも、参考にできるのは、現況の敷地図とそこからどうにか起こした敷地配置計画のスケッチ、そしてクリスのお絵描き風ラフスケッチ・・・!

「はあ・・・。で、どこで作業すればいいんですか?」

「それなんだが、ここ(クリス邸)をなし崩し的に事務所にはしたくないのだよ。今ロンドンで心当たりに当たってみているところなのだが、とりあえず君は一旦ロンドンに帰ってくれたまえ。ちなみに君の自宅で作業することは可能かね?」

自分の家で作業するなと言っておきながら、どういうこと!?

「不可能ではありませんが、作業の能率は全然上がらないと思います。」

「そうか。ではできるだけ早く手配して連絡するので、ロンドンで待っていてくれたまえ。」

・・・・・・・・・・

翌日(2005年1月10日)の夕方になって、M.A.から電話あり。

「明日の朝、Nという女性に電話してもらえるかしら?私も詳しい事情はわからないのだけど、とりあえず彼女が当面の作業場を手配してくれることになったみたいなの。」

言われたとおり、翌朝Nに電話してみたのだが・・・

「はい、こちらプリンス財団です。」

???・・・プリンス財団って、クリスの選択肢には入っていなかったんじゃなかったっけ?(『オフィスは何処?』<http://routemaster.blog75.fc2.com/blog-entry-54.html>参照)

「あ、ええっと、Nさんはいらっしゃいますか?」

ここで初めてNが財団のスタッフであることを知る。
気をとり直して、彼女に事情を説明したのだが、あろうことか、彼女は何も聞いていないと言う。
何か手違いがあったかも知れないので、調べた上で折り返し電話をくれる、ということになる。
が、待てど暮らせど連絡なし。結局その日はM.A.とも連絡がとれずじまい。

翌日再びNへ電話するも、相変わらず話が全然とおっていない。
待てよ、財団ってことは、M.M.に問い合わせてみればいいんじゃないか?

「あの、ではM.M.さんはそちらにいらっしゃいますか?」
「今出掛けていますが、戻ってきたら折り返し電話させます。」

その言葉を信じて待っているつもりは最早なく、午後直接財団へ。
M.M.はまだ戻っていなかったため、とりあえず下の階にある大学院の研究室で時間を潰すことに。
ほどなくM.M.より携帯に電話。

「いや、遅くなって申し訳ない。Nから事情は聞いたよ。早速手配しようと思うので、上がってきてくれないか?」

言われるままに、財団のオフィスがある上の階に上がっていくと、そこには、M.M.とおぼしき人物が・・・
って、あれ?彼がM.M.?
そこに立っていたのは、以前シューマッカー・プロジェクトの時に、模型の材料を手配してくれた、私がM.M.の助手だと思い込んでいた、あの物腰の柔らかい小柄な男性であった。(『シューマカー大学増築プロジェクト - その4』<http://routemaster.blog75.fc2.com/blog-entry-10.html>参照)
何と、彼がM.M.本人であったのだ!

彼は別の階にある大会議室へと私を連れてきた。

「この場所は、会議やシンポジウムなどがない時は基本的に誰も使っていないので、ここが空いている限り作業場として使えるようにしておく、ということで良いだろうか?」

がらんとしただだっ広いスペースに無数のテーブルと椅子が配置されているこの場所、実は私が大学院に入った当初はここが研究室だったのだ。勿論雰囲気は当時とはだいぶ異なるものの、馴染みのある場所、とは言えた。

M.M.は早速私を連れてオフィス階に戻り、2,3のスタッフに対し、この人物が明日から大会議室を使用するので宜しく取り計らってくれるように、とお願いしてくれた。

彼が動き出してから、話は驚くべきスピードで進展した。それは、彼がこの財団の中で相当高い地位にいることも意味したが、彼自身の手際の早さも大きかったのは言うまでもない。

ともあれ、これでようやく、ロンドンでの当座の仕事場は確保することができた。

仕事始め(ボストン集合住宅プロジェクト:その1)

イギリスだけでなく他のヨーロッパやアメリカでもだいたい同様だと思うが、クリスマスに比べて新年というのは信じられないほどあっさりとしたもので、元旦こそ休日であるものの、2日からは見事なくらい普通の生活が再開する。

従って、一時帰国で正月モードの真只中にいた私の元にクリスから仕事に関するメールが来たのも、3日というのはむしろ遅いぐらいとさえ言えた。

「新年あけましておめでとう。
一刻も早く君に会えることを楽しみにしている。
(1月)6日にはこちらに戻ってくると聞いているが、
その後すぐにでも来てもらって、ボストンのプロジェクトについて話し合いたいのだ。
7日は遊びに来ている娘を空港まで送ってやらなければならないので、難しいだろう。
8日ではどうかな?
ともあれ、早く君に会えることを楽しみにしているよ」


「ボストンのプロジェクト」に関しては、11月にクリス邸を訪ねた時点で既にその存在だけは聞かされていたのだが、集合住宅群の設計依頼という以上のことは、わからないままであった。

とにかく、早くこのプロジェクトに着手したくて仕方がないのだろうが、私が6日まで戻ってこないだけでなく、彼の愛娘が7日まで滞在している以上、本格的に仕事を始めるわけにもいかず、少々イライラしている様子が窺えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

クリスは文字通り、私が来るのを待ちかねていたようだった。
再会を喜んだのも束の間、早速プロジェクトの話へとなだれ込んだ。

「今のところ、手許にある資料は現況の敷地図面しかないのだ。
来週の木曜(1月13日)にボストンへ出向いて契約を交わしてくることになっているのだ。その時に現場も見に行くことになっているので、
写真や追加の資料は手に入ると思うのだが、
とりあえず現況の図面を基に建物のレイアウトについて
既にいくつかスケッチをしてみたのだ。
これをもう少し正確なものに描き直してもらえないだろうか?」


いつの間にか、話し合いは単なる作業の指示へとすり替わっていた。
まさかいきなり作業に入ることになるとは・・・。

だいいち、敷地も実際に見ないうちから図面だけでアイデアを練り始める、
というのは、本来のクリスのやり方ではないはずであった。
要するに、待ちきれなかったのであろう。

まるで子供である。

図面から見る限り、敷地はイレギュラーな三角形をした工場の跡地か何かのようであった。
面積はおよそ2ヘクタール。
この中に3階建を限度として、約200世帯分の集合住宅群を計画する。
条件はざっとこんな感じであった。

クリスによる、限りなく落書きに近いようなエスキースでは、数字的な条件は恐ろしく大雑把にしか押さえていなかった。
要するに、そのあたりもある程度きちっと押さえた上で、それなりのスケッチに仕上げる、
というのが、私に課せられた最初の作業のようであった。

というわけで、その日のうちにロンドンに帰れるはずもなく、いきなりクリス邸に泊りがけで作業をすることとなってしまったのだった。

20070726003052.jpg

(上図:計画前の現況の敷地図面)

オフィスは何処?

とりあえず、私は年明けから働き始めることになった。
それまでにオフィスの場所が決まるはずであった。

そう、この時点ではまだ、ロンドン環境構造センター(以下ロンドンCES)のオフィスが何処になるのか決まっていなかったのである。

12月に入り、日本に一時帰国してからも、クリスやM.A.とは何度かメールのやりとりをしていたのだが、場所探しは必ずしもスムーズに進んではいないようであった。

当初の最有力候補は、グリニッジ大学のキャンパス内であった。
要するに、大学の研究機関として入り込ませようとしていたのである。
初めのうちは、大学側も好意的で前向きだったらしいのだが、時間が経つにつれ、何故かその態度は曖昧になっていったようで、結局グリニッジのキャンパス内に空きスペースはない、ということらしかった。

グリニッジ大学は、グリニッジのほか、ロンドンに隣接するケント県にもう一つキャンパスを持っていて、そちらなら空きスペースがあるという。

だが、それでは「ロンドン・・・」ではなくなってしまう。
言ってみれば、「東京環境構造センター」が相模原あたりにあるようなものだ。
まあ、そういった事例もなくはないが・・・。

名前にこだわっていたかどうかはともかく、クリスはケントのキャンパスにあまり乗り気ではないようだった。
それでも一応、現場を見に行くとのことであったが、それも年明け、1月の中旬以降の予定であった。

その一方で、クリスは年明け早々にイギリスに戻ってきて仕事を始めて欲しいと言う。

それはいいのだが、一体どこで始めるのか?

カリフォルニアの頃、クリスのオフィスは自邸の地下にあった。
同様に今回もサセックスの自邸でとりあえず始めれば良さそうなものだが、何故か今回、クリスは自邸を仕事場にはしたくないのだと言う。

もう一つの選択肢としては、私が学んでいた大学院が所属していたプリンス財団の本部があった。
以前にも触れたかも知れないが、クリスはここの創設メンバーのひとりでもあり、また、ロンドンCESの創設メンバーに名を連ねているM.M.は、この時点ではまだここの学術教育部門の責任者でもあったので、ここにささやかながらもオフィスのスペースを確保することはさほど難しいことではなかった。
しかし、これまたクリスはあまり乗り気ではなかった。
どうもこの組織の人間との折り合いがあまり良くないのが、その理由らしかった。

さらにもう一つの選択肢として、何とケンブリッジ大学があった。
ここの研究機関のひとつがクリスに好意的であり、共同でやっていく可能性についての話があるらしかった。
ケンブリッジ大はクリスの母校であり、何より彼はこの街が大好きであった。
では、ここにすればすべてが丸く収まるのか、と言えば、そうでもなかった。
ケンブリッジは、地理的にいうとロンドンを挟んでクリスの自邸があるサセックスとは真反対に位置しており、距離にして200km以上、往復するだけでも1日仕事であった。
彼としては、オフィスはせいぜいサセックス~ロンドン間(100km前後)ぐらいの距離に置きたかったのである。

結局、年末が押し詰まっても、一向に決まる気配はなく、にも関わらず、仕事は一刻も早く始めたいらしく、とりあえず年明け早々に再びクリス邸を訪れることとなった。

まあ、予想できないことではなかったが、このオフィスの先行きを暗示するような、スムーズとは到底言い難いスタートであった。

ロンドン環境構造センター

M.A.からのメールの内容は、おおよそ以下のようなものだったと記憶している。

「すぐにでもあなたに会いたい。
できるだけ早くこちらに来られないかしら?
London Center for Environmental Structure の設立計画に
あなたが参加できないかどうか話し合いたいのだけれど、どうかしら?」

London Center for Environmental Structure ― すなわちロンドン環境構造センター

環境構造センター(以下CESと略記)」は、クリスが今から40年ほど前にカリフォルニアのバークレーに設立した彼個人の事務所の名前で、クリス本人不在の今でもR.S.という男が殆ど1人で切盛りしている。

これと同じものをイギリス国内に設立するつもりなのか?
だとすれば、彼は最早アメリカへは帰らずに完全にこちらに拠点を移すつもりである、ということになる。

ともあれ、早速その週の終わりに再びクリス邸を訪ねることにした。

例によって、クリスは満面の笑みをもって私を迎えてくれた。

前回同様大きなダイニング・キッチンに通されると、その真ん中にある大きなテーブルの上には既に、London-CESの設立主旨やメンバーなどが書かれた1枚のペーパーが置かれていた。

組織そのものは非営利とし、コアなメンバー数人を除いては、その主旨に賛同する人々の緩やかな共同体とする、というのが、当座の方針のようであった。
設立メンバーは、クリスとM.A.のほかに2人。
1人はM.M.という、プリンス財団の人間。どうやらシューマッカー・プロジェクトの際、模型材料の調達に協力してくれたのと同一人物のようであった。もっともその時は彼のアシスタントとおぼしき男性と会っただけで、本人と私の間に面識はないはずであった。
もう1人はB.H.という学者先生。この時はどんな人物か全く知らなかったのだが、後に、イギリス国内で過去にクリスが関わったプロジェクトの殆どに何らかの形で参加していたらしいことを知る。

で、この日のお題目は、私がこの組織にどのように関わるか、ということであった。

「実は君がもう仕事を見つけてしまったのではないか、と内心ヒヤヒヤしていたのだよ。
もちろん、まだ見つかっていないということは君自身にとっては不本意なことだろうが、
正直言うと、私はホッとしているのだ。
実はすでにアメリカからプロジェクトの話が舞い込んできているのだが、
これを手伝ってはくれないだろうか?」


予想はしていたが、これは最早完全に仕事の話であった。
要するにすぐにでも作業に入りたいプロジェクトがあり、そのためにクリスは私という労働力を一刻も早く確保したかったのだろう。
はやる気持ちを抑えつつ、私は注意深く彼に答えた。

「もちろん、私としては喜んでお手伝いしたいと思っています。
ただ、前回のシューマッカーでも若干誤解があったようなので、改めてビザの件等確認したいのです。
現在私は来年の11月末まで有効な学生ビザを持っています。つまり、それまでは学生としてパートタイムで働くことしか許されていません。更にそれ以降は労働許可証を申請して労働ビザを取得しなければなりません。もし、そのプロジェクトが大きなものであれば、1年では終わらないかもしれず、その時は労働許可証の申請をお願いすることになると思いますが、よろしいでしょうか?」

「もちろんだ!そのためにもこの組織を立ち上げる必要があるのだからな。学生ビザの件も承知しているし、給料の方も、このプロジェクトが契約に至れば十分な額を支払うことができるだろう。」

後は、M.A.との間で、当座の給料の額や、いつから働き始めるか、といったことをつめるだけであった。

大方の話が終わり、早めの夕食の前に、クリス、M.A.と共にシャンペンで乾杯。

「また、君と一緒に仕事ができることになって私は嬉しいよ。このプロジェクト以外にも君にはやってもらいたいことが沢山あるんだ。いや、本当に楽しみだ!」

言うまでもなくクリスの機嫌はこの上なく良かった。

・・・・・・・・・・

さて、記憶が確かなら、私はその半年ほど前、
「クリスとは2度と仕事を共にしない」
と心に決めたはずであった。

それが何故こうもあっさり変心したのか?

もちろん、それまで就職のメドがなかなか立たない、ということも少なからず影響していた。
タイミングからいっても、これはまさに
「渡りに船」
であった。

しかし、彼と共に仕事をすると碌なことにならない、というのは、もう身にしみてわかっていたはずである。いわんや、この話自体だって、この先どうなるか、何の保証もないし、どう転んだとしても何の不思議もない。

それでも、私は思ったのである。
「ああ、これはもう、運命なのだな」
と。

そもそもこの時を遡ること約3年前、カリフォルニアを離れる時、再びクリスと一緒に仕事をする機会が来るなんて、誰が想像しただろうか?
当時からイギリスとの間を行ったり来たりしてはいたものの、彼が拠点を完全にイギリスに移す時が来ようとは思いもよらないことであった。

何より、
「建築の世界に飛び込むきっかけとなった人物と共にひとつでもいいから建物をつくりあげる」
この、幾度となく潰えかけた夢が再び、いや三たび目の前に出現したのだ。

クリスももう若くはない。残されたチャンスはわずかしかない。
こうなれば、何があろうと行き着くところまで行くしかない!

今改めて思い返すと、ちょっと不思議な感じさえするのだが、
当時は極めて自然にそういう考えに行き着いたのだった。

いずれにしても、これで、就職の問題にも決着がつき、その上再び夢に向かって走り出すことができる。

それまでひたすら逆風だった風向きが、突如として強い追い風に変わるのを感じた瞬間であった。

 | HOME |  »

プロフィール

るうとますたあ

Author:るうとますたあ
FC2ブログへようこそ!

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する